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東京地方裁判所 昭和35年(レ)352号 判決

控訴人(第一審被告) 赤山正治

被控訴人(第一審原告) 高橋恒雄

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し、別紙目録〈省略〉の家屋を明け渡し、かつ昭和三四年一月一日から右明渡しずみまで一カ月金九五九円の割合による金員を支払うべし。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

この判決は、第二項に限り、被控訴人が金八万円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。

事実

一、双方の申立

控訴人代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人代理人は、「本件控訴を棄却する。」との判決を求めた。

二、双方の主張

被控訴人代理人は、請求の原因、その他の主張として、次の(一)、(四)ないし(七)、(二)のとおり述べ、控訴人代理人は、答弁として、次の(二)、(三)、(八)ないし(一〇)のとおり述べた。

(被控訴人の請求の原因)

(一)、別紙目録の家屋は被控訴人の所有である。しかるに、控訴人は、正当な権原がないのに、昭和三二年一二月五日以前から本件家屋を占有して被控訴人の右所有権を侵害し、被控訴人に対し、相当賃料額一カ月金九五九円(統制賃料額)の割合による損害を与えている。

よつて、被控訴人は控訴人に対し、本件家屋の明渡しと、昭和三二年一二月五日から右明渡しずみまで一カ月金九五九円の割合による損害金(仮定的に、後記賃貸借が認められる場合、昭和三二年一二月五日から昭和三五年四月二七日までは賃料、その翌日からは損害金)の支払いとを求める。

(右主張に対する控訴人の答弁)

(二)、本件家屋が被控訴人の所有であり、控訴人が昭和三二年一二月五日以前から本件家屋を占有していること、その当時からの本件家屋の相当賃料たる統制賃料額が一カ月金九五九円であることは認めるが、その余は争う。

(占有権原についての控訴人の主張)

(三)、控訴人は、昭和二〇年一月ごろ、当時本件家屋の所有者であつた広川清一から、本件家屋を、賃料は一カ月金一五円(のちに金一、〇〇〇円に増額)とし、期間を定めずに、賃借した。その後、広川は昭和三二年八月八日被控訴人に本件家屋を売り渡してその所有権を譲渡し、同年一二月五日右所有権移転登記を了した。かようにして、被控訴人は広川から右賃貸借の賃貸人たる地位を承継した。したがつて、控訴人は被控訴人に対する右賃借権にもとづいて本件家屋を正当に占有しているのである。

(右主張に対する被控訴人の答弁)

(四)、控訴人が昭和二〇年一月ごろ、当時本件家屋の所有者であつた広川から、本件家屋を、控訴人主張のとおりの約定で賃借したこと、広川が控訴人主張の日その主張のとおり被控訴人に対し本件家屋の所有権を譲渡し、所有権移転登記を了したことは認めるが、その余は争う。

(右賃借権の消滅についての被控訴人の主張)

(五)、広川は昭和二九年七月ごろ控訴人との間に、広川が控訴人に対し立退料金三五、〇〇〇円を提供したとき、本件賃貸借契約は終了し、控訴人は広川に対し本件家屋を明け渡すべき旨の賃貸借解除の契約をし、この契約にもとづいて、広川は昭和二九年七月下旬ごろ控訴人に対し右金員を提供したから、このとき本件賃貸借は終了した。

(六)、仮りに、右の主張が認められず、被控訴人が賃貸人の地位を承継したとしても、被控訴人は控訴人に対し、昭和三四年八月九日到達の内容証明郵便で、昭和三二年八月八日からの賃料を右郵便到達後三日間以内に支払われたいと催告したが、右催告期間内に支払いを受けることができなかつたので、さらに控訴人に対し、同月一四日到達の内容証明郵便で、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。したがつて、本件賃貸借は同日終了した。

(七)、仮りに、右の主張が認められないとしても、被控訴人は控訴人に対し、昭和三四年一〇月二七日午後一時の原審第一二回口頭弁論期日に、本件賃貸借契約を解約する旨の申入れをした。

右解約の申入れをするについての正当事由は、次の(1) ないし(5) のとおりである。

(1)、被控訴人は妻とともに東京都品川区東大崎三丁目一四九番地関信次宅二階六畳一室に間借り生活をしていたため、両親弟妹と同居することができず、両親に生活費を送り二重生活を余儀なくされていた。しかも右住居は炊事場、便所等の諸設備がすべて階下にあつて日常生活に不便であり、胸部疾患をわずらう妻の健康のためにもよくなかつたうえに、妻の病気を嫌う家主は被控訴人に対し立退きを要求していた。そこで、被控訴人は、右二重生活の不経済、間借り生活の不便、妻の健康への悪影響を除くため適当な売り家を物色中、広川所有の本件家屋を探し当てた。広川は、控訴人の賃借期間は徒過しており、かつ控訴人との間に明渡しの合意ができているといつていたので、被控訴人はこの言葉を信じて本件家屋を買い受けたのである。かようなわけで、被控訴人は本件家屋を住居として自ら使用する必要がある。

(2)、また、本件家屋は昭和のはじめころ、古材を使用して建築したもので、腐朽の程度がはなはだしく、何時倒れるかも計り知れない状態にあるので、早急に取りこわしたうえ、これを改築する必要がある。

(3)、被控訴人は控訴人に対し数回にわたり移転先きをあつせんした。すなわち、(イ)、被控訴人は昭和三二年九月ごろ東京都目黒区月光町八五三番地所在の建坪一二坪の家屋の賃借(賃料は一カ月金八、〇〇〇円、権利金は五万円)をあつせんし、被控訴人が右権利金および移転費用を負担してやる旨の条件を示したが、控訴人はその賃借を拒絶した。(ロ)、被控訴人は同年一〇月ごろ東京都世田谷区若林町所在建物二戸建のうち一戸(六畳および三畳各一室)の賃借(賃料は一カ月三、〇〇〇円、権利金、敷金なし)をあつせんしたが、控訴人は、勤務先きに遠いという理由でその賃借を拒絶した。(ハ)、さらに、被控訴人は本訴提起後間もなく、横浜市鶴見区潮田町四丁目二五〇番地所在の建坪一三坪五合の売り家を買つてこれを控訴人に無償、無期限で貸す旨提案したが、控訴人は、右(ロ)と同じ理由でこの提案を拒絶し、誠意のない態度を示している。

(4)、昭和三四年六月中旬ごろ、被控訴人の代理人高木清隆と控訴人の代理人山田長太郎との間で、控訴人が立退料として金一五万円を受け取つて本件家屋を明け渡すことにほぼ話しがまとまつた。しかるに、控訴人は急に意をひるがえして右の趣旨による解決を拒否し、被控訴人の努力に対して全く誠意のある態度を示さない。

(5)、控訴人は東京都板橋区に家屋を所有し、これを第三者に賃貸している。このほか控訴人の家庭の事情、勤務事情などから考えて、控訴人が本件家屋を明け渡すことについては何らの支障がない。

以上のとおり、本件家屋については前記解約の申入れ当時から明渡しを求める正当の事由がそなわつていたから、本件賃貸借は右解約申入れの日から六カ月を経過した昭和三五年四月二七日限り終了した。

(右の各主張に対する控訴人の答弁)

(八)、被控訴人の右主張事実のうち、(五)は否認する。同(六)のうち被控訴人が控訴人に対しその主張のとおり賃料支払いの催告および賃貸借契約解除の意思表示をしたことは認めるが、その余は争う、同(七)は否認する。

(賃料の支払い関係についての控訴人の主張)

(九)、前記のとおり、被控訴人は昭和三二年八月八日広川から本件家屋の所有権を譲り受けたが、同年一二月四日まで所有権移転登記を経由していなかつたから、この期間控訴人に対し本件家屋の所有権、ひいては賃貸人たる地位を対抗することができない。控訴人は、広川から昭和二九一二月ごろ本件家屋の所有権を譲り受けた山田長太郎を賃貸人と認め、同人に対し右の期間一カ月金一、〇〇〇円の割合の約定賃料を支払つた。

被控訴人は昭和三二年一二月五日本件家屋について所有権移転登記を了し、同日以降、山田および控訴人に対し賃貸人たる地位を対抗することができるようになつた。しかし、控訴人は、昭和三三年七月一四日(原審第二回の口頭弁論が開かれた日)まで、広川および被控訴人のいずれからも、被控訴人が本件家屋を広川から買い受けたことの知らせを受けなかつたので、その事実を知らなかつた。一方、広川、山田の双方から賃料は新しい賃貸人の山田に支払うように、との申入れがあり、山田も賃貸人として自己のためにする意思で賃料の取立てをした。そこで、控訴人は山田を賃貸人と信じ、山田に対し、昭和二九年一二月分からの右金額の割合による約定賃料を支払い、昭和三二年一二月五日以後も昭和三三年六月分まで引続き右金額の割合による約定賃料を毎月支払つてきた。

かように、控訴人の山田に対する昭和三二年一二月五日から昭和三三年六月分までの賃料の支払いは、その債権の準占有者に対する善意による支払いとして有効である。

(一〇)、昭和三三年七月一四日になつて、控訴人は被控訴人が広川から本件家屋を買い受けたことを知つたが、前記のとおり、山田も賃貸人たる地位を主張し、山田と被控訴人との間で、本件家屋の所有権の帰属について争いとなつた。そのため、控訴人は真正の賃貸人を確知することができなかつたので(この点控訴人に過失はなかつた)、東京法務局に対し、昭和三三年一一月二四日に同年七月分ないし一一月分の約定賃料合計金五、〇〇〇円を、同年一二月二二日に同年一二月分の約定賃料一、〇〇〇円を、それぞれ供託した。

仮りに、右供託にあたつても、控訴人が被控訴人に対してまず賃料を提供することが必要であるとしても、被控訴人は東京都品川区東大崎三丁目一四九番地関信次方に居住せず、その住所は不明であつて、控訴人は被控訴人の協力がなくては賃料を提供することができなかつたのであるから、賃料を提供することなくしてした控訴人の右供託は有効である。

控訴人は、昭和三四年一月以降、被控訴人を供託金還付請求権者として供託することにしたが、右のとおり賃料を被控訴人に提供することができなかつたので、これを提供しないで、昭和三四年一月二七日に同年一月分の約定賃料(金一、〇〇〇円、以下同じ)を、同年二月二三日に同年二月分の賃料を、同年三月五日に同年三月分の賃料を、同年四月一四日に同年四月分の賃料を、同年五月二二日に同年五月分の賃料を、同年六月二六日に同年六月分の賃料を、同年七月二九日に同年七月分の賃料を、それぞれ東京法務局に供託した。

したがつて、控訴人には賃料債務の不履行はなく、被控訴人の前記解除の意思表示は無効である。

なお、控訴人は被控訴人に対しその後昭和三五年五月分までの約定賃料を毎月東京法務局に供託した。

(右の各主張に対する被控訴人の答弁)

(二)、控訴人の主張(九)の事実のうち、広川が被控訴人に対し本件家屋の所有権を譲渡し、所有権移転登記を了した点を除き、その余は否認する。広川は、本件家屋を被控訴人に譲渡して間もなくのころ、また被控訴人は昭和三三年四月に、控訴人に対し、被控訴人が本件家屋の所有権を取得したことを知らせたから、控訴人は被控訴人が賃貸人であることを知つていたのである。

同(一〇)の事実のうち、控訴人が被控訴人に対し賃料の提供をせずに、控訴人主張の各日に、昭和三三年七月分から昭和三五年五月分までの賃料を東京法務局に供託したことは認めるが、その余は否認する。被控訴人は本件家屋の所有権を取得した後二年間ぐらいは、東京都品川区東大崎三丁目一四九番地関信次方の住所を変えなかつた。また本件訴訟の提起後は、控訴人は被控訴人またはその代理人に被控訴人の住所を尋ねてこれを確めることができたのであるから、このことをせずに、賃料の提供を怠つた控訴人の供託は有効ではない。仮りに、前記供託に先きだち賃料の提供があつたとしても、本件各供託のすべての供託通知書が被控訴人に到達したのは、本件賃貸借契約の解除の意思表示をした後の昭和三四年八月一六日であり、右供託のすべてが効力を発生するのはこのときであるから、右供託によつては本件賃貸借契約の解除の効力を妨げることはできない。

三、証拠関係〈省略〉

理由

一、本件家屋は被控訴人の所有であり、控訴人は昭和三二年一二月五日以前から本件家屋を占有していること、昭和三二年一二月五日以降の本件家屋の統制賃料額は一カ月金九五九円であることは、当事者間に争いがない。

二、まず、控訴人の右占有の権原について考える。

控訴人は昭和二〇年一月ごろ、当時本件家屋の所有者であつた広川清一から、本件家屋を、賃料は一カ月金一五円(のちに金一、〇〇〇円に増額)とし、期間を定めずに賃借したことは、当事者間に争いがない。

被控訴人は、「昭和二九年七月ごろ広川と控訴人との間で、右賃貸借契約を解除する旨の合意ができた」。と主張する。

原審および当審における被控訴人本人の供述のうちには、ほぼ被控訴人の右主張に合う部分があるが、この供述部分は当審証人広川清一の証言に照らして信用することができない。かえつて、右広川証人の証言によると、広川は控訴人の母、妻に対し、昭和三〇年七月ごろまでに本件家屋を明け渡してくれと交渉したこともあつたが、結局控訴人の承諾を得ることができなかつたことが認められる。

被控訴人の右主張は理由がない。

被控訴人が昭和三二年八月八日広川からその所有する本件家屋を買い受け、同年一二月五日右所有権移転登記を了したことは、当事者間に争いがない。

したがつて、被控訴人は広川から本件家屋の所有権とともに右賃貸借の賃貸人たる地位を承継し、控訴人は被控訴人に対し賃借権をもつに至つたのである。

三、被控訴人は控訴人に対し昭和三四年八月九日到達の内容証明郵便で、昭和三二年八月八日からの賃料を右郵便到達後三日間以内に支払われたいと催告し、ついで右催告期間経過後の昭和三四年八月一四日到達の内容証明郵便で、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。

四、控訴人は、「昭和三二年八月八日から同年一二月四日まで被控訴人は控訴人に対し右家屋の賃貸人たる地位を対抗することができない。」と主張する。

賃貸家屋の所有権が譲渡された場合に、新所有権者は所有権の取得によつて法律上当然に賃貸人たる地位を承継取得するというべきであるが、右の期間、本件家屋についてまだ被控訴人のため所有権移転登記がなされなかつたから、被控訴人は控訴人に対し、本件家屋の所有権ひいてはその賃貸人たる地位を対抗することができなかつたのである。したがつて、被控訴人の控訴人に対する右期間の賃料の催告は無効である。(後記のとおり、山田も、広川から本件家屋を買い受けながら所有権移転登記を経由していないので、控訴人に対してその賃貸人たる地位を対抗することができないのであるが、控訴人は自ら山田を賃貸人と認め、同人に対し賃料の支払いをした。したがつて、控訴人の山田に対する右期間の賃料の支払いは賃貸人に対する賃料の支払いとして有効である。)

五、被控訴人が昭和三二年一二月五日本件家屋について所有権移転登記を経由し、同日以降、山田および控訴人に対し本件家屋の所有権、ひいては賃貸人たる地位を対抗することができるに至つたことは、当事者間に争いがない。

控訴人は、「昭和三二年一二月五日から昭和三三年六月分まで、控訴人が山田に対してした賃料の支払いは、その債権の準占有者に対する支払いとして有効である」。と主張する。

甲第二号証(真正にできたことに争いがない)、乙第二号証、同第四号証(いずれも当審証人山田長太郎の証言によつて真正にできたと認められる)、乙第三号証の二(同号証の筆跡および印影と乙第四号証のそれとを対照して真正にできたと認められる)と当審証人山田長太郎の証言、原審および当審における控訴人本人尋問の結果とを合せ考えると、次のとおり認められる。

山田は、昭和二九年当時借財に苦しんでいた広川のために、債権者と話しあい、広川に有利に解決してやつたことがあつた関係から、昭和二九年九月ないし一〇月ごろ、広川からの申出によつて、本件家屋を五、〇〇〇円という安い代金で買い受けたが、所有権移転登記をしなかつた。控訴人は昭和二九年一二月広川宅に同月分の賃料(当時の約定賃料は一カ月金一、〇〇〇円である)を持参したところ、広川から、本件家屋が山田の所有に変つたから山田に支払うように、といわれ、また山田からも賃料の支払いを請求されたので、山田を本件家屋の所有者であり、賃貸人であると信し、昭和三〇年一月二五日から昭和三三年三月二五日までの間、ほぼ毎月、昭和二九年一二月分から昭和三三年四月分まで一カ月金一、〇〇〇円の割合による約定賃料を山田に支払つてきた。昭和三三年四月ごろになつて、控訴人は、それまで面識のない被控訴人から、初めて、本件家屋を広川から買つた旨聞かされたが、格別賃料の請求をされることもなかつたし、右買受けのことについて広川から何の知らせもなかつたので、にわかに被控訴人の右の言葉を信用することもできず、山田から、権利者は自分だから賃料をこれまでどおり支払うように、と請求されるままに、山田を真正の賃貸人と信用し、昭和三三年五月、六月に、同年五、六月分の約定賃料一カ月金一、〇〇〇円ずつを山田に支払つた。

以上のとおり認められる。

右認定に反する当審証人広川清一の証言、原審および当審における被控訴人本人の各供述部分は信用することができない。

右の事実関係からすると、山田は取引観念上賃貸人とみえるような外観を示していた者すなわち賃料債権の準占有者であり、控訴人は善意でその山田に対して賃料を支払つていたものと認められ、この点につき控訴人に過失があるとは認められない。

したがつて、昭和三二年一二月五日から昭和三三年六月分までの控訴人の山田に対する賃料の支払いは有効であり、これにより控訴人は被控訴人に対する右期間の賃料債務を免れたことになるのである。

六、控訴人が東京法務局に対し昭和三三年一一月二四日に同年七月分ないし一一月分の約定賃料合計金五、〇〇〇円を、同年一二月二二日に同年一二月分の賃料金一、〇〇〇円を供託したことは、当事者間に争いがない。

乙第五、六号証、同第二七号証の一(いずれも真正にできたことに争いがない)と当審における控訴人本人尋問の結果と弁論の全趣旨とによると、控訴人は昭和三三年七月一四日午前一〇時(原審第二回口頭弁論期日)に原裁判所で、書類をみて被控訴人が広川から本件家屋を買い受けたことを確かめたが、右家屋の所有権について被控訴人と山田との間に争いがあつて、真正の所有権者を確実に知ることができなかつたので、昭和三三年七月分から同年一二月分までの約定賃料全額を債権者が山田か被控訴人かいずれであるか確知することができないという理由で、右山田、被控訴人の各住所の共通の地である東京都の供託所である東京法務局に供託したことが認められる。

右認定に反する証拠はない。

控訴人が本件家屋につき被控訴人名義の所有権取得登記ができていることを確かめたかどうかは明らかでないがが、仮りに、これを確かめることができたとしても、広川から二重に所有権を譲り受け、いずれも所有権者と称している場合、いずれが優先するかについて法律家でない控訴人に適確な判断を期待することは無理であるから、右認定事実のような場合は、控訴人が過失なくして債権者を確知することができない場合にあたるものと解するのが相当である。

被控訴人は、「右のような場合にも、控訴人は供託に先きだつて賃料を提供すべきであり、これを怠つた供託は無効である。また、供託は供託通知書が債権者に到達したとき効力を発生する」。と主張する。

しかし、右主張が理由ないことは多く説明を要しないであろう。

控訴人の右供託はすべて有効である。

七、控訴人が被控訴人に対し、あらかじめ賃料を提供することなく、昭和三四年一月二七日に同年一月分の約定賃料(金一、〇〇〇円、以下同じ)を、同年二月二三日に同年二月分の賃料を、同年三月五日に同年三月分の賃料を、同年四月一四日に同年四月分の賃料を、同年五月二二日に同年五月分の賃料を、同年六月二六日に同年六月分の賃料を、同年七月二九日に同年七月分の賃料をそれぞれ東京法務局に供託したことは、当事者間に争いがない。

乙第七ないし第一三号証、乙第二四号証の一、二(いずれも真正にできたことに争いがない)と当審における控訴人および被控訴人各本人尋問の結果とを合せ考えると、次のとおり認められる。

被控訴人は、昭和三四年二月ごろまで、東京都品川区東大崎三丁目一四九番地関信次宅に居住していたが、その後横浜市の現住所に移転した。ところで、控訴人は、昭和三三年一二月まで賃貸人を確知することができないとして供託してきた態度を改め、真正の賃貸人を被控訴人であると考え直したが、昭和三三年一二月二二日被控訴人あてに郵便物として差し出した供託通知書入りの封書が還付されたことから、被控訴人の住所が不明であると速断して、昭和三四年一月分から同年七月分までの約定賃料全額を、還付請求権者は被控訴人、その住所は右関信次宅として東京法務局に供した。

以上のとおり認められ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

被控訴人が控訴人に対し住所移転の通知をしたことを認めるに足りる証拠はない。しかし、昭和三四年一月より前から、本件訴訟は原審に係属しており、控訴人が原審各口頭弁論期日に被控訴人またはその代理人と原裁判所法廷で面接していることは、原審記録上明らかであるから、控訴人が被控訴人の住所を確かめることは極めて容易にできたはずである。控訴人は、被控訴人を賃貸人として認め供託をする以上、供託に先きだち被控訴人の住所を確かめるべきであり(そうすれば横浜市の現住所も知ることができたはずである)、確かめたうえで、供託に先きだち、被控訴人に対し賃料を提供すべきであつた。しかるに、控訴人は、右のことを怠り、賃料の提供をせずに、被控訴人を供託金還付請求権者として漫然と供託したのであるから、右供託は無効といわなければならない。

してみると、控訴人には一部債務不履行があつたわけであり、したがつて被控訴人のした前記解除の意思表示は有効であり、本件賃貸借は昭和三四年八月一四日限り解除によつて終了したものといわなければならない。

八、かようなわけで、控訴人は、被控訴人に対し、右の日限り本件家屋を明け渡す義務があり、昭和三四年八月一五日からは、少くとも過失によつて本件家屋を不法占有し、被控訴人の所有権を侵害して、被控訴人に対し相当賃料額の損害を与えている、と認めるべきである。

前記のとおり、昭和三二年一二月五日当時から本件家屋の統制賃料額は一カ月金九五九円であるから、右の金額をもつて本件家屋の相当賃料額とするのが相当である。

控訴人は、「控訴人は昭和三四年八月以降も昭和三五年五月まで賃料として一カ月金一、〇〇〇円ずつを供託している」。と主張している。

右供託は、前記七、と同じ理由で無効なものであるが、仮りに、そうでないとしても、賃料としての供託は損害金債務の履行とは無関係のものと解すべきであるから、右供託によつて、控訴人は被控訴人に対し、右損害額の賠償義務を免れるものではない。

九、以上の次第であるから、控訴人は被控訴人に対し、本件家屋を明け渡し、かつ昭和三四年一月一日から同年八月一四日まで一カ月金九五九円の割合による賃料、同月一五日から右明渡しずみまで右割合による損害金を支払う義務がある。

したがつて、被控訴人の本件請求は右の限度で正当として認容すべきであるが、その余は失当として棄却しなければならない。被控訴人の控訴人に対する本件請求をすべて認容した原判決は、右と異なる限度で不当であるから、民事訴訟法第三八六条によつて原判決をこの限度で変更する(原判決における仮執行の宣言は、同法第一九八条第一項によつて、右変更の限度で効力を失うのである)。

よつて、訴訟の総費用について、民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村義広 鹿山春男 猪瀬慎一郎)

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